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第103話 疑惑の種③

作者: 花柳響
last update 最終更新日: 2026-01-26 18:00:57

「ひどい……ひどすぎるよ……」

 涙が溢れて止まらない。頬を伝う雫が、冷たく感じる。

 父を殺したのは、病気じゃない。

 征也だ。

 彼が、父の誇りも、希望も、すべて奪い取って殺したんだ。

 そして今、彼はその娘である私を金で買い、飼い殺しにして楽しんでいる。

 『愛してる』とか『守ってやる』なんて甘い言葉を耳元で囁きながら、腹の底では私を嘲笑っていたんだ。

 愚かな女だと。父親と同じように、簡単に騙せる無能な人形だと。

「……っ、うぅ……」

 足の力が抜け、その場にへたり込んだ。

 冷たい床の上で、ファイルを抱きしめて嗚咽する。

 悔しい。

 憎い。

 そして何より、そんな男に抱かれ、心を許しかけていた自分が、死ぬほど許せない。

 私の身体の奥には、まだ彼の熱が残っている。

 首筋には、彼がつけたキスマークが焼き付いている。

 それら全てが、汚らわしい焼き印のように思えて、皮膚ごと爪で剥ぎ取りたい衝動に駆られた。

「……誰だ」

 不意に。

 背後から、闇を切り裂くような声がした。

 ヒッ、と小さく息を呑む。

 心臓が早鐘を打ち、全身の毛穴という毛穴から冷や汗が噴き出した。

 振り返りたくない。

 でも、背中に突き刺さる視線の重圧が、私を無理やり振り向かせた。

 書斎の入り口に、人影が立っている。

 逆光で表情は見えない。

 けれど、その長身のシルエットと、闇よりも深く重たい気配は、間違いなく天道征也だった。

 彼は動かない。

 ただ、じっと私を見下ろしている。

 私が抱えているファイルと、開け放たれた金庫、そして床に散らばった写真。

 そのすべてを見て、状況を理解したのだろう。

 逃げられない。

 言い訳もできない。

 私は、彼が最も隠しておきたかった「罪」を暴いてしまったのだ。

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